足軽の階級と組織

「足軽」と呼ばれる層が定着して大部隊化してくると、その中には必然的に階級が生じ、また特定の武器を専門とする組織に細分化されていきます。ここでは戦国期における足軽の階級と組織についてご紹介します。


足軽の階級

 戦国期に見られる足軽の階級(身分)としては足軽たちの上に足軽大将(単に足軽頭また足軽大頭とも)と足軽小頭(足軽組頭)があり、室町期には足軽たちの中から統領的な立場にある者が命ぜられていたが、戦国期になると主君直属の士分の者が任命されるようになった。大名家によりかなりの差があるが、足軽大将は小頭を含めた50〜150名程度、小頭は30名程度を統率していたものとみられる。
 足軽大将には概ね家中の中士以上の身分の者が任命されており、実際には足軽大将1名につき数名程度の小頭が配属されていたようである。従って足軽隊に対する命令伝達系統は、総大将または侍大将→足軽大将→足軽小頭→足軽衆と伝えられていたわけである。
 あと、足軽と同義で使用されることがある「同心」という呼称についてであるが、これは南北朝時代頃から一般的に被官の俗称として用いられていて、当初は足軽より階級が上の者についての呼称であった。しかし次第に下の階級まで含めてそう呼ぶようになり、戦国末期には足軽級の者のみを指すようになったという。『甲陽軍鑑』にも
 
 「甘利殿同心かしら米倉丹後守と云矢弓巧者の武士よき工夫の故(略)
 
 と見え、一部に例外はあるものの、戦国期の記録における足軽と同心はほぼ同義語と見なして良く、実際記録には打ち混ぜて用いられているようである。


足軽の組織

 足軽は最前線での戦闘担当者であり、当然色々な武器を取り扱った。特に鉄砲が伝来してからは部隊編成が大きく変化したが、戦国期にはざっと以下のような足軽組織が存在した。
 
 弓足軽・・・一番歴史の古い組織であり、戦国期の合戦においては主として鉄砲隊の射撃の隙間を埋める際や弾薬が尽きた場合に用いられた。また天候に関係なく使えて連射が利くため短距離戦の飛び道具としてもまだまだ有効であった。しかし、鉄砲伝来後は主役の座を奪われ、戦国末期になると配備数も鉄砲の方が多くなった。
 
 鉄砲足軽・・・鉄砲は伝来後、次第に合戦の主役となった。価格が高く一度撃てば次に発射するまでに手間と時間が掛かり、当初は命中精度も低く大雨の日には使えないなどの欠点はあるが、その威力は強力で一斉射撃の際に発する大音響と黒煙には大きな威圧効果もあった。ちなみに鉄砲足軽隊を率いる役職は鉄砲頭と呼ばれた。
 
 長柄足軽・・・長柄は槍の別称で、室町時代になると武者たちは弓より槍を用い始めた。鉄砲伝来以前は白兵戦では槍が主役であり、「一番槍」「○本槍」という言葉があるように、長柄足軽隊を指揮する者は特に勇猛な人物が選ばれ、長柄大将あるいは槍奉行(槍大将)と呼ばれた。徳川家の大久保彦左衛門忠教などが有名である。
 
 旗指足軽・・・大名あるいは大将の軍旗を持つ役目を務める。戦闘員ではないが名誉の役とされ、敵に狙われることも多いため勇猛でたしなみも備えた下士が任命された。旗一流れにつき三人一組でこれを支えたとある。この隊を指揮する者は旗奉行と呼ばれた。なお軍旗の代わりに馬印を持った足軽もおり、こちらは馬印持(足軽)と呼ばれた。
 


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