筒井順慶(つつい じゅんけい) 1549〜1584 順昭の子で初名藤勝のち藤政、元興福寺官符衆徒の大和郡山城主。陽舜坊。永禄期〜天正五年の間、大和へ侵略してきた松永久秀と繰り返し戦うが、織田信長の助けもあり久秀滅亡後は大和一国を統治。山崎合戦の際の「洞ヶ峠をきめこむ(日和見をする意)」の故事で有名だが、順慶は洞ヶ峠には出陣しておらず、郡山城にあって善後策を協議していて秀吉方加担が遅れたため、後に秀吉から叱責された。信仰心が厚く、謡曲や茶にも堪能で教養ある武将として知られる。三十六歳の若さで病死。 |