戦国を生きた男たち
《 武将編 ろ: 六角定頼〜六角義治

喰うか喰われるか。少しでも油断しようものならあっという間に攻めつぶされた時代を生きた男たちの中には、個性的な人間が多く存在しました。これは戦国期に活躍した個性派大名や武将たちを、作者の独断と偏見で紹介するページです。

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六角定頼(ろっかく さだより) 1495〜1552

近江守護職の観音寺城主で高頼の次男。浅井亮政の台頭を押さえ、また京を追われた将軍義晴・義輝を援助し入京の実現に奔走、京都東山や近江滋賀郡で三好長慶らと激しく戦った。

六角義賢(ろっかく よしかた) 1521〜1598

定頼の子。近江国観音寺城主で承禎入道を称す。はじめ将軍義晴・義輝を庇護し三好長慶と戦うが、のち三好・浅井氏とは同盟を結んで信長に徹底抗戦した。しかし結局は敵わず降伏、近江から追放された。政治面では楽市実施の祖と伝えられる。

六角義治(ろっかく よしはる) 1545〜1612

義賢の子。義弼とも。1563年の観音寺騒動(義治の手により重臣後藤賢豊父子を殺害)により支配力を失い、信長の猛攻を支えきれず武田勝頼を頼って逃れた。後に秀吉の御伽衆から秀頼の弓術師範として余生を送ったという。



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