【合戦の概略】 関東制覇をもくろんで着々と勢力を伸ばしてきた北条氏康に対し、旧勢力の扇谷上杉朝定・山内上杉憲政・関東公方足利晴氏との間で、武蔵河越城をめぐって行われた戦いで、戦国三大奇襲戦の一つ。 連合軍は八万の大軍で河越城を包囲した。城主で北条家随一の猛将・北条綱成は、わずか数千の軍ではどう見ても勝ち目はなく、氏康に救援を依頼する。急を聞いて駆けつけた氏康の救援軍も一万に足らず、ここで氏康は偽の和睦を提案し、敵が油断したところを夜中に総攻撃をかけた。 これに合わせて綱成も城内より攻撃をかけたため、連合軍は大混乱して退却した。以後、両山内勢力は衰え、北条氏の関東制覇が確固たるものになっていった。 ※年表は合戦前1年間、合戦後6ヶ月間の全国の出来事を表示しています。(日付欄の * 印は閏月) |
西暦 | 日付 | 種別 | 内容 |
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1545 天文14 | 04/20 | 軍事 | 武田晴信が藤沢頼親の拠る伊那福与城を包囲する。 |
05/15 | 死去 | 河内守護の高屋城主畠山稙長が歿す。享年42歳。 | |
05/20 | 軍事 | 藤沢頼親の義兄小笠原長時が後詰行動を起こして龍ヶ崎城に出陣する。 | |
05/25 | 合戦 | 細川晴元が細川氏綱と京都宇治に戦い、これを破る。 | |
06/11 | 合戦 | 伊那福与城の藤沢頼親が弟権次郎を人質に武田晴信に降伏、城は即日焼却される。 | |
06/11 | 事件 | 京都祇園御霊会で三条の町衆が幕府の雑色を殺害したため、細川晴元の内衆が三条町を焼き討ちする。 | |
06/13 | 軍事 | 武田晴信が伊那郡攻略の後、筑摩郡塩尻に陣を進める。 | |
07/12 | 死去 | 能登守護の七尾城主畠山義総長が歿す。享年55歳。 | |
07/24 | 軍事 | 今川義元が北条氏康討伐を決意し、駿府今川館を出陣して駿河善徳寺に布陣する。 | |
07/27 | 合戦 | 三好長慶・政長が細川氏綱の与党内藤顕勝の拠る丹波関城を攻略する。 | |
08/07 | 政治 | 幕府が洛中洛外の土倉による酒麹売買を禁じ、北野社神人の酒麹製造専売件を安堵する。 | |
08/15 | 誕生 | 山中鹿介幸盛が三河守満幸の次男として生まれる。 | |
08/16 | 合戦 | 今川義元が北条氏康と駿河今井狐橋で戦い、武田晴信の救援を得た義元がこれを破る。 | |
08/29 | 文化 | 吉田社の神主吉田兼右が越前の朝倉孝景に神道を伝授する(日付は9/9とも)。 | |
09/16 | 合戦 | 今川義元が武田晴信の加勢を得て北条氏康を駿河吉原に破る。 | |
09/19 | 軍事 | 今川義元が北条氏康方の属城を駿河長久保城を包囲する。 | |
09/20 | 合戦 | 松平広忠が安祥城奪回を謀り三河清田畷で織田信秀と戦うが敗れる(清田畷の戦い)。 | |
09/22 | 死去 | 『胸中抄』『東国紀行』を著した連歌師宗牧が下野佐野で歿す。享年不詳。 | |
09/26 | 軍事 | 山内上杉憲政が扇谷上杉朝定とともに東国勢六万五千を率いて北条方の勇将北条綱成の守る武蔵河越城を包囲する。 | |
10/22 | 政治 | 武田晴信の仲介で今川義元が北条氏康と和睦する。 | |
10/27 | 軍事 | 古河公方足利晴氏が一万五千の軍を率いて河越城を包囲中の山内上杉憲政らに合流、北条氏康に宣戦布告する。 | |
11/06 | 政治 | 今川義元と和睦した北条氏康が駿河から撤兵する。 | |
11/23 | 文化 | 京都清水寺の堂宇が竣工する。 | |
11/30 | 死去 | 毛利元就の妻・妙玖が病歿。享年47歳。 | |
12/13 | 政治 | 京都東福寺が出銭・貢銭を撰銭(えりぜに)する条規を定める。 | |
12/28 | 合戦 | 日向の伊東義祐が目井城を攻め落とす。 | |
1546 天文15 | 01/29 | 誕生 | 黒田官兵衛孝高が播磨姫路で生まれる。父は職高。 |
03/10 | 死去 | 龍造寺剛忠家兼が病歿。享年93歳。家督は曾孫の胤信に譲られる。 | |
03/14 | 合戦 | 武田晴信が村上義清の戸石城を攻め信濃上野原で戦うが敗れる。 | |
03/24 | 合戦 | 長尾景虎が謀反した越後黒滝城主・黒田秀忠を討伐する。黒田一族は自害。 | |
03/25 | 軍事 | 北条氏康が武蔵河越城の北条綱成救援に向け小田原城を進発、武蔵三ツ木に布陣する(日付は4/1とも)。 | |
04/12 | 死去 | 公家で従一位関白の鷹司忠冬が歿す。享年38歳。 | |
04/20 | 合戦 | 【河越夜戦】 武蔵河越城の北条綱成救援に向かった北条氏康が上杉憲政・朝定・足利晴氏連合軍に夜襲をかけ撃破。扇谷上杉朝定は戦死(享年22歳)、憲政は上野平井城に、晴氏は古河に奔る。 | |
04/27 | 文化 | 狩野元信が記録所の障子の絵を描く。 | |
05/03 | 軍事 | 武田晴信が信濃佐久郡侵攻に向け躑躅ヶ崎館を出陣する。 | |
05/06 | 軍事 | 武田晴信が信濃佐久郡前山城に入る。 | |
05/09 | 合戦 | 武田晴信が大井貞清の拠る信濃内山城に攻めかかる。 | |
05/20 | 合戦 | 武田晴信が大井貞清の拠る信濃内山城を攻め落とす。城主貞清は降伏。 | |
05/21 | 合戦 | 大友氏の将臼杵七郎らが伊予宇和郡に来襲し日振島に陣を置くが、土居・法華津氏ら西園寺氏の将がこれを撃退する。 | |
05/27 | 合戦 | 大和田佐渡守光盛が平城の小野寺惟通を攻め滅ぼす。惟道は流れ矢に当たり戦死、享年不詳。 | |
06/01 | 政治 | 伊達晴宗が白石城へ逃れ、伊達稙宗が西山城を回復する。 | |
06/09 | 文化 | 摂津石山本願寺で能『寝覚』等十二番、狂言『鐘鋳』『栂尾茶買』が上演される。 | |
06/10 | 合戦 | 大友義鑑の兵が伊予宇和郡に侵入、領主の西園寺公広がこれを迎え撃つ。 | |
08/16 | 軍事 | 三好長慶が管領細川晴元の命を受け軍を率いて堺に入るが、細川氏綱・遊佐長教らに包囲される。 | |
08/20 | 政治 | 三好長慶が堺の会合衆に仲裁を依頼して堺から撤退する。 | |
08/25 | 死去 | 肥後の相良義滋が歿す。享年56歳。 | |
08/28 | 合戦 | 太田資正が武蔵松山城に深夜奇襲をかけ攻め落とす。 | |
09/03 | 合戦 | 細川氏綱が細川晴元方の山中又三郎の守る摂津大塚城を攻略する。 | |
09/06 | 政治 | 松平広忠が三河上野城主酒井忠尚を降す。 | |
09/13 | 政治 | 細川氏綱が軍を京都に進めたため、管領細川晴元は高尾へ移る。 | |
09/16 | 政治 | 管領細川晴元が細川氏綱の圧迫を避け高尾から丹波へ脱出する。 | |
09/20 | 死去 | 山中鹿介の父三河守満幸が陣歿。享年27歳。 | |
10/02 | 政治 | 今川義元が塗師大工左衛門太郎が柿渋を徴収することを許可する。 | |
10/05 | 一揆 | 京都で土一揆が徳政を訴えて蜂起する。 | |
10/10 | 政治 | 大内義隆が相良晴広に遣明船の準備を命じる。 | |
10/22 | 合戦 | 三好義賢が讃岐から堺に来援するが遊佐長教の軍に敗れる。 |