【合戦の概略】 いわゆる秀吉の「天下統一」の最終仕上げに当たる戦い。時勢の流れが見えない北条氏は、秀吉の再三の上洛要請にのらりくらりと言い逃れ、従わなかった。そのとき、真田昌幸との間で小さな衝突があり(名胡桃城奪取事件)、これを口実に秀吉からとがめられて小田原攻めが実行された。 いくら小田原城が天下の名城でも、後詰めもない上に、まわりを二十万以上の大軍に埋め尽くされては勝ち目はなかった。支城も次々に落とされ、ついに氏政・氏直親子は降伏開城する。 氏直は家康の女婿であった縁もあり、一命は助けられたが高野山へ配流。父氏政と叔父氏照は切腹、ここに早雲以来五代に渡って関東に覇を唱えた北条氏は滅んだ。 ※年表は小田原城開城前6ヶ月間、開城後3ヶ月間の全国の出来事を表示しています。 |
西暦 | 日付 | 種別 | 内容 |
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1590 天正18 | 01/08 | 政治 | 鍋島直茂が豊臣秀吉から肥前佐嘉で四万五千石を与えられ、事実上龍造寺氏に代わり大名となる。 |
01/14 | 死去 | 豊臣秀吉の異父妹で徳川家康継室の朝日(旭)姫が聚楽第で歿す。享年48歳。 | |
01/21 | 軍事 | 北条氏直が領内建長寺の備蓄米を小田原城と玉縄城に搬送させる。 | |
02/07 | 軍事 | 徳川家康が小田原攻めに向け先発隊を出陣させ、北条氏直は箱根足柄に塁を築く。 | |
02/10 | 軍事 | 徳川家康が小田原攻めに向け二万の軍を率いて駿府を出陣する。 | |
02/28 | 軍事 | 宇喜多秀家が小田原攻めに参陣する。 | |
02/28 | 政治 | 豊臣秀吉が琉球王尚寧からの国書に返書を出す。 | |
03/01 | 軍事 | 豊臣秀吉が北条攻めに踏み切り、小田原へ向け3万2千の軍を率いて京都を出陣。 | |
03/19 | 軍事 | 豊臣秀吉が駿府に着陣する。 | |
03/20 | 軍事 | 北条氏直の叔父・佐野氏忠が箱根足柄城の守備につく。 | |
03/27 | 軍事 | 豊臣秀吉が駿河三枚橋城に到着する。 | |
03/27 | 政治 | 津軽為信が十八騎を率いて参陣、豊臣秀吉から津軽三郡・合浦一円の所領安堵状を与えられる。 | |
03/28 | 軍事 | 豊臣秀吉が徳川家康の陣所駿河長久保城で協議、山中城攻略は豊臣秀次、韮山城攻略は織田信雄を総大将とすることを決める。 | |
03/29 | 合戦 | 豊臣水軍が北条水軍と伊豆ヶ崎で戦う一方、羽柴秀次軍が北条方の箱根山中城を数時間の戦闘で落とす。松田康長・間宮康俊が戦死。 | |
04/01 | 合戦 | 長宗我部元親が、軍艦大黒丸で北条方清水康英の籠もる伊豆下田城を攻撃する。 | |
04/02 | 軍事 | 豊臣秀吉が箱根湯本に陣を置く。 | |
04/06 | 軍事 | 豊臣秀吉が早雲寺に本陣を置き、北条氏政・氏直親子の籠もる小田原城を包囲する(日付は4/4とも)。 | |
04/07 | 事件 | 伊達政宗が弟を立てようとした母から黒川城で謀殺されかけ、弟の小次郎を斬殺。 | |
04/10 | 合戦 | 前田利家・上杉景勝らが北条方の大道寺政繁が拠る松井田城を攻め落とす。 | |
04/11 | 死去 | 山上宗二が豊臣秀吉の怒りを買い、箱根湯本で殺される。享年47歳。 | |
04/12 | 合戦 | 豊臣秀吉軍が北条方の松山城を落とす。 | |
04/20 | 政治 | 前田利家・浅野長政らが伊達政宗に、会津を返して秀吉に謁見するよう勧告する。 | |
04/27 | 合戦 | 豊臣秀吉軍が北条方の江戸城を落とす。 | |
04/27 | 政治 | 豊臣秀吉が上杉景勝らに百姓らの還住と人身売買の禁止を厳命する。 | |
05/01 | 合戦 | 武蔵河越城の大導寺政繁が豊臣秀吉軍に降伏、開城する。 | |
05/07 | 死去 | イエズス会宣教師ガスパル・コエリョが病歿。享年不詳。 | |
05/09 | 軍事 | 伊達政宗が小田原に参陣すべく会津黒川城を発つ。 | |
05/20 | 軍事 | 豊臣秀吉が房総方面出陣中の浅野長政・木村常陸介らを武蔵鉢形城攻略に向かわせる。 | |
05/22 | 合戦 | 豊臣秀吉軍が北条方の岩槻城を落とす。 | |
05/27 | 死去 | 堀秀政が小田原早川口の陣中で病歿。享年38歳。 | |
05/29 | 合戦 | 石田三成らが北条方の館林城を落とす。 | |
06/05 | 軍事 | 伊達政宗が甲冑の上から白の陣羽織を着た「死に装束」で小田原に参着する。 | |
06/07 | 軍事 | 石田三成らが忍城攻略のため、水堤を起工する(日付は6/9とも)。 | |
06/08 | 事件 | 北条氏の重臣・松田尾張守憲秀が秀吉に内応する。 | |
06/09 | 政治 | 伊達政宗が豊臣秀吉に対面を許され臣従、会津を没収される代わりに本領は安堵される。 | |
06/14 | 合戦 | 前田利家らが北条氏邦が籠もる鉢形城を落とす。氏邦は剃髪して降伏。 | |
06/16 | 死去 | 豊臣秀吉に内通した松田憲秀が北条氏直に捕らえられ自刃。 | |
06/16 | 軍事 | 豊臣方の石田三成らが武蔵忍城南に堤を築き水を導くが、折からの大雨で堤の西端が決壊、自軍に被害が出る。 | |
06/20 | 文化 | 天正遣欧使節とヴァリニャーニが長崎に帰還、活版印刷や銅版画の技術をもたらす。 | |
06/22 | 死去 | 公家で従一位左大臣西園寺公朝が歿す。享年76歳。 | |
06/23 | 死去 | 北条家臣で八条流馬術の達人加治家範が武蔵八王子城で自刃。享年43歳。 | |
06/24 | 合戦 | 豊臣秀吉軍が北条方の伊豆韮山城を落とす。 | |
06/25 | 合戦 | 豊臣秀吉軍が北条方の武蔵八王子城を落とす。 | |
06/25 | 軍事 | 豊臣秀吉が石垣山に本陣を移す。 | |
06/25 | 政治 | 伊達政宗が小田原から会津黒川城に戻る。 | |
06/27 | 合戦 | 豊臣秀吉軍が北条方の武蔵忍城を落とす(日時は7/16など異説あり)。 | |
07/05 | 合戦 | 【小田原城開城】 北条氏政・氏直親子が豊臣秀吉に降伏し、小田原城を開城する。 | |
07/09 | 死去 | 北条氏政・氏照が抗戦の責任を問われ医者田村安栖の宿所で切腹。享年氏政53歳、氏照50歳(日付は7/11とも)。 | |
07/10 | 軍事 | 徳川家康が小田原城に入る。 | |
07/13 | 政治 | 豊臣秀吉が伊達政宗の会津黒川城を没収、政宗は米沢に本拠を移す。また徳川家康に北条氏の遺領を与え、信濃の諸将を関東に移し仙石秀久・石川数正らを信濃に配置する。さらに京極高次には八幡山二万八千石を、豊臣秀次には尾張・北伊勢五郡を与えて清洲城主とする。 | |
07/17 | 軍事 | 豊臣秀吉が小田原城を出陣、陸奥へ向かう。 | |
07/19 | 死去 | 北条氏の重臣大道寺政繁が豊臣秀吉の命により自刃。享年58歳。 | |
07/21 | 政治 | 宗義智が朝鮮使節黄允吉らと入京する。 | |
07/26 | 政治 | 豊臣秀吉が宇都宮城に入り、関東以北の諸大名についての仕置きの大綱を発表する。 | |
08/01 | 政治 | 豊臣秀吉が田中吉政を岡崎城主、池田輝政を三河吉田城主に任じ、上杉景勝には出羽の検地を命じる。また徳川家康が秀吉の命によりこの日関東に入国、江戸城に入る(江戸御打入り)。 | |
08/09 | 政治 | 豊臣秀吉が会津黒川城に入り、豊臣秀次に検地を命じ奥州仕置を発令、ついに天下を統一する。 | |
08/12 | 政治 | 豊臣秀吉が浅野長政に陸奥の検地を強行するように命じる。 | |
09/10 | 政治 | 徳川家康が家臣の知行割りを行う。 | |
09/14 | 死去 | 絵師狩野永徳が襖絵を制作中に急死。享年48歳。 | |
09/21 | 死去 | 元六角氏の家臣で豊臣秀吉の右筆建部賢文が歿す。享年69歳。 | |
09/28 | 合戦 | 伊達政宗・浅野長吉らが九戸政実の乱を平定。政実は捕らえられ護送中に誅殺。 | |
10/16 | 一揆 | 陸奥玉造郡などの大崎領で、木村父子の処置に怒った大崎・葛西旧臣らが領民と共に一揆を起こし佐沼城を包囲する。 |