年表で見る「桶狭間の合戦」(1560年5月19日)

【合戦の概略】

戦国合戦史上あまりにも名高い奇襲戦。上洛を目指す今川義元二万五千の大軍に、織田信長は桶狭間(愛知県)において三千の兵をもって奇襲に出た。負ければ家の滅亡。また、たとえ籠城するにせよ、当時の信長と義元の力の差を考えると、負けることは必至である。まさに大ばくちであった。
豪雨に見舞われたことも幸いした。やや油断をしていた義元は、田楽狭間で休憩中に織田軍の奇襲を受け、全軍に指令を与える間もないうちに乱軍の中にその首を取られた。この勝利から、信長の「天下布武」への快進撃が始まった。


※年表は合戦前1年間、合戦後3ヶ月間の全国の出来事を表示しています。
西暦日付種別内容
1559
永禄2
05/01政治長尾景虎が参内し、正親町天皇から盃・剣を与えられる。
  05/16政治松平元康が岡崎の家臣に七箇条の法度を下す。
  06/26政治将軍義輝が長尾景虎に裏書・塗輿を許し、関東管領上杉憲政の補佐を命じる。また、信濃出兵に名分を与える。
  06/29政治将軍義輝が長尾景虎に、大友義鎮の献上した秘伝書『鉄放薬方并調合次第』を贈る。
  08/01死去下総結城城主結城政勝が歿す。享年56歳。
  08/04合戦三好長慶が安見安房を河内高屋城から追放し飯盛城に奔らせ、紀伊の畠山高政を高屋城に迎える。
  08/10合戦松永久秀が三好勢と共に大和に侵入、筒井・十市・万歳氏らを追う。
  08/21軍事今川義元が朝比奈筑前守に命じて尾張大高城を守らせる。
  09/19合戦近江の六角義賢が高野瀬秀澄を肥田城に水攻めする。
  09/26合戦大友義鎮が田原親宏に命じ毛利氏に奪われれた門司城奪回を目指して攻め掛かるが、小早川隆景の救援により敗れる。
  10/06死去絵師の狩野元信が歿す。享年84歳。
  10/26政治長尾景虎が京都から越後に帰国する。
  11/07死去肥後岩尾城主阿蘇惟豊が歿す。享年67歳。
  11/20政治正親町天皇が松永久秀の右筆楠正虎に楠木正成の罪の赦免を伝え、正虎を河内守に任命する。
  11/27政治将軍義輝が正親町天皇の即位式の延期を要請、朝廷でこれを協議する。
  12/09文化土佐光茂が上乗院の献上した立花の絵を写す。
  12/10文化日蓮宗妙本寺の住持日我が『いろは字書』を著す。
  12/13文化四辻季遠が立花の絵本を朝廷に献上する。
  12/15政治朝廷が勅使万里小路秀房を本願寺顕如のもとへ遣わし、門跡勅許を伝達する。
  12/27政治本願寺顕如が門跡就任の返礼に朝廷に二万疋、将軍義輝に一万疋の銭を献上する。
1560
永禄3
01/04軍事下総関宿城にいた結城晴朝が佐竹義昭・小田氏治らの来襲の企てを知り、急遽結城城に戻る。
  01/07合戦佐竹義昭・小田氏治らが北条方の結城晴朝の拠る下総結城城を攻めるが撃退される。
  01/16政治三好長慶が相伴衆となる。
  01/20合戦里見義堯が北条氏康に攻められ、家臣の正木憲時から上杉家臣北条高広を通じて上杉謙信に救援を依頼する。
  01/27政治正親町天皇の即位式が行われる。
  02/15政治毛利元就が陸奥守に任命され菊桐の紋章を拝受、同時に隆元は従五位下大膳大夫に叙される。
  03/03死去但馬天神山城主山名豊定が病没。享年49歳。
  03/19軍事島津忠平(義弘)が忠親の養子となり、伊東氏に備え兵を率いて飫肥城に入る。
  03/26合戦上杉謙信が富山城主神保義春を攻撃して追放、越中に手を伸ばす。
  04/04政治将軍義輝が尼子晴久と毛利元就の和睦を図る。
  04/10誕生後藤又兵衛基次が後藤基国の次男として播磨姫路南山田に生まれる。
  04/28軍事佐竹義昭が長尾景虎に関東の情勢を報じて出陣を請い、景虎はこれを了承する。
  05/01軍事今川義元が上洛のため全軍の総出陣を発令する。
  05/05軍事織田信長が三河吉良に出兵、一帯の焼き討ちを行う。
  05/10軍事今川義元の先鋒松平元康が尾張に向けて出陣する。
  05/12軍事今川義元が上洛軍を引き連れて駿府を出発。松平元康が先鋒を承る。
  05/16軍事今川義元が三河岡崎城に入る。
  05/17軍事今川義元が三河池鯉鮒に到着、松平元信が生母於大の方を尾張阿久居の久松俊勝の館に訪ねる。
  05/18軍事今川義元が尾張に侵入、沓掛に陣を置き全軍の攻撃部署を定める。
  05/19合戦【桶狭間の合戦】
未明に熱田社を出陣した織田信長が尾張田楽狭間で休息中の今川軍に奇襲をかけてこれを破り、今川義元討死。享年42歳。
  05/20軍事松平元康が大高城から退却、三河大樹寺に入る。また、織田信長は清洲城で今川方の首実検を行い、義元塚を築いて手厚く弔う。
  05/20合戦長宗我部国親と本山茂辰が土佐長浜で戦う。
  05/21合戦長宗我部元親が土佐長浜戸ノ本の戦いで初陣を飾る。(日付は5/27とも)
  05/23軍事松平元康が城将不在の岡崎城に入り、程なく今川家から独立する。
  05/27死去古河公方足利晴氏が下総関宿(栗橋)城で病没。享年53歳。
  05/28軍事長宗我部国親に土佐長浜で敗れた本山茂辰が朝倉城に立てこもる。
  06/03合戦織田信長が美濃に侵攻、斎藤義龍方丸毛氏・市橋氏らと戦う。(日付は6/2とも)
  06/07政治北条氏政が下野足利学校に金沢文庫蔵の宋明州刊本『文選』を寄進する。
  06/15死去長宗我部国親が病歿、享年57歳。嫡男元親が家督を嗣ぐ。
  06/27文化正親町天皇が三条西公条から古今伝授を受ける。
  07/23事件剣術中条流達人の富田勢源が、美濃国主斎藤義龍の命により梅津某と武藤淡路守宅で立ち会い、これを討ち果たす。
  07/24合戦松永久秀が大和辰市城に井戸良弘を攻め、筒井順政がこれを援けるが失敗する。
  08/02政治武田信玄が釜無川と御勅使川の信玄堤沿岸への移住者に棟別銭を免除する。
  08/26軍事長尾景虎が関東管領上杉憲政らの依頼により、北条氏康攻撃のため関東に出陣する(日付は8/25とも)。

※使用年表: 『戦国詳細年表ver1(1496-1615)』 copyright(c)1999 M.Sakamoto
※年表の無断転載はご遠慮下さい。


BACK