【合戦の概略】 徳川家康が大坂城に構える豊臣家を滅ぼす目的で仕掛けた、戦国期最終の2度にわたる戦い。1614年のいわゆる冬の陣は、家康が方広寺の鐘銘にある「国家安康・君臣豊楽」という文字に、「家康の文字を断ち切った上に、豊臣家を君として楽しむとは言語道断」と、何ともこじつけた言いがかりをつけて勃発。真田幸村らの奮戦で目算が狂った家康は、あわてて和議に持ち込む。 和議の条件では城の外堀を埋めるだけの約束が、家康の謀略によりすべての堀を埋めてしまったため豊臣側が反発、浪人を再び雇いだしたことから翌15年、再戦となる(夏の陣)。 この戦いにおいて幸村は家康本陣に肉薄し、あわやというところまで追いつめたが、あと一歩及ばず、刀折れ矢尽きて安居天神境内にて戦死する。秀頼は母・淀君とともに炎上する大阪城で自害、豊臣家は滅びた。 ※年表は冬の陣開始前6ヶ月間、夏の陣終結後3ヶ月間の全国の出来事を表示しています。(日付欄の * 印は閏月) |
西暦 | 日付 | 種別 | 内容 |
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1614 慶長19 | 05/06 | 死去 | 信濃小諸城主仙石秀久が歿す。享年64歳。 |
05/20 | 死去 | 前田利長が越中高岡城で歿す。享年53歳。 | |
05/21 | 政治 | 片桐且元が駿府の徳川家康に使者に立ち、方広寺の大仏開眼日を具申する。 | |
05/26 | 死去 | 松浦鎮信が平戸で病歿。享年66歳。 | |
06/28 | 死去 | 京都の明経博士舟橋秀賢が歿す。享年40歳。 | |
07/12 | 死去 | 京都嵯峨の豪商角倉了以光好が歿す。享年61歳。 | |
07/17 | 死去 | 織田信長の弟信包が大坂城内で吐血して急死。享年72歳。毒殺の噂が流れる。 | |
07/20 | 死去 | 下総結城城主結城晴朝が歿す。享年81歳。 | |
07/21 | 事件 | 徳川家康が方広寺の鐘銘文に難癖をつける。 | |
07/26 | 政治 | 徳川家康が方広寺大仏殿の開眼供養を延期するよう命じる。 | |
08/13 | 政治 | ポルトガル人らが駿府城の家康を訪ね、キリスト禁教の緩和を願い出る。 | |
08/20 | 政治 | 片桐且元が駿府の徳川家康に使者に立ち、方広寺大仏殿鐘銘文の釈明をする。 | |
08/26 | 死去 | 和泉の茶人武野宗瓦が歿す。享年65歳。 | |
08/29 | 政治 | 淀殿の使者大蔵卿局が駿府の徳川家康のもとに出向き、歓待される。 | |
09/07 | 政治 | 幕府が西国の諸大名に、幕府に対して忠誠を誓う誓紙を提出させる。 | |
09/07 | 死去 | 和泉の茶人千少庵が歿す。享年69歳。 | |
09/18 | 政治 | 片桐且元が大坂城に戻り、豊臣秀頼・淀殿へ徳川家康との和平を勧める。 | |
09/21 | 政治 | 大工頭中井正清・林羅山が、角倉了以の子素庵らによる宇治川開削計画を家康に具申する。 | |
09/21 | 文化 | 京都仙洞御所でこの頃流行の操(あやつり)・三味線が催される。 | |
09/24 | 文化 | 全国で流行している伊勢踊りが宮中や女院御所で催される。 | |
10/01 | 事件 | 片桐且元が弟貞隆と共に武装の上大坂城を退去、茨木城に立て籠もる。 | |
10/01 | 政治 | 徳川家康が大坂討伐を決意、伊勢・美濃・尾張の諸将に出陣を命じる。 | |
10/02 | 軍事 | 豊臣秀頼が兵を募り、諸大名の大坂蔵米などを城内に搬入する。 | |
10/04 | 政治 | 徳川家康が福島正則・加藤嘉明・黒田長政らに江戸留守居を命じる。 | |
10/05 | 死去 | 本願寺第十二世門跡教如が歿す。享年57歳。 | |
10/06 | 軍事 | 豊臣秀頼が大阪城を修理、戦備を整える。 | |
10/07 | 軍事 | 長宗我部盛親が京都所司代板倉勝重を欺き大坂城に入城する。 | |
10/07 | 政治 | 京都所司代板倉勝重が淀川の船の通行を止め、米や塩の大坂への輸送を禁止する。またキリシタン大名の高山右近が国外追放処分を受け、長崎を出港しルソン島マニラへ向かう。 | |
10/09 | 軍事 | 真田幸村・大助(幸昌)父子が浅野長晟監視の紀州九度山を脱出、大坂城に向かう。 | |
10/10 | 軍事 | 真田幸村・大助(幸昌)父子が大坂城に入城する。一方、伊達政宗が鈴木重信を留守居役に命じ仙台を出陣、大坂に向かう。 | |
10/11 | 軍事 | 徳川家康が駿府を出陣、大坂に向かう。 | |
10/12 | 事件 | 大坂方が堺から鉄炮などの兵器を奪う。 | |
10/16 | 軍事 | 伊達政宗が江戸に到着、徳川秀忠より先鋒を命じられる。 | |
10/17 | 死去 | 織物師竹若忠大夫が歿す。享年不詳。 | |
10/19 | 政治 | 徳川家康が西国・四国の大名に大坂への参陣命令を発す。 | |
10/22 | 軍事 | 徳川家康が二条城に到着する(日付は10/23とも)。 | |
10/23 | 軍事 | 徳川秀忠が江戸を発ち、京都へ向かう。 | |
11/04 | 軍事 | 大坂方の薄田兼相が山口弘定と平野へ攻め込み、周辺を焼き払う。 | |
11/05 | 軍事 | 大坂方の薄田兼相・山口弘定が東軍の松平忠明・本多忠政の来襲を聞き、決戦を避け大坂城に戻る。 | |
11/09 | 政治 | 徳川家康が諸大名に対し、兵糧船・商船を堺へ回すよう命じる。 | |
11/10 | 軍事 | 徳川秀忠が伏見城に到着する。 | |
11/15 | 合戦 | 【大坂冬の陣開始】 徳川家康・秀忠父子が京都を発ち大坂へ軍を進め、世に言う大坂冬の陣が始まる。 | |
11/25 | 死去 | 薩摩へ配流された関白左大臣近衛信尹が歿す。享年50歳。 | |
11/26 | 合戦 | 徳川家康方の佐竹義宣・上杉景勝が大坂方の後藤基次・木村重成と今福・鴫野で激突、大坂方が勝つ。 | |
11/27 | 事件 | 徳川家康方の古田織部が合戦中に佐竹義宣の陣へ行き茶会を催し、敵に狙撃され負傷する。 | |
11/29 | 合戦 | 東軍の石川忠総・蜂須賀至鎮が大坂方の薄田兼相の拠る博労ヶ淵砦を攻撃、兼相不在のため守備兵はみな逃げ散る。 | |
12/03 | 合戦 | 真田幸村が真田丸において前田利常隊を撃破する。 | |
12/04 | 合戦 | 越前松平勢と前田勢が真田丸を襲うが、逆に真田幸村・大助父子に撃退される。 | |
12/16 | 合戦 | 徳川方の放った大砲が大坂城天守に命中、侍女数人が即死する一方、大坂方の塙団右衛門が東軍の蜂須賀至鎮隊に夜討ちをかけ、侍大将中村右近を討ち取る。 | |
12/18 | 政治 | 大坂方の使者常高院と徳川方阿茶局・本多正純が京極忠高の陣で和睦交渉をする。 | |
12/19 | 政治 | 【大坂冬の陣終結】 徳川・豊臣家の間に一旦和睦が成立する(日付は12/20とも)。 | |
12/23 | 政治 | 徳川方が大坂城の濠の埋め立てを開始する。 | |
12/28 | 死去 | 今川氏真が品川で病歿。享年77歳。 | |
12/28 | 政治 | 伊達秀宗が宇和島十万石に封じられる。 | |
1615 元和元 | 01/02 | 政治 | 伊達政宗による遣欧使節支倉常長がイスパニアに到着、国王ドン・フェリッペ3世と会見する。 |
01/03 | 死去 | 初代対馬藩主宗義智が金石館で病歿。享年48歳。 | |
01/08 | 死去 | 高山右近が追放先のマニラで熱病にかかり病歿。享年64歳。 | |
01/11 | 政治 | 徳川家康が近江国友村に鉄炮の製造を命じる。 | |
01/20 | 政治 | 支倉常長がイスパニアで受洗を受け、ドン・フェリッポ・フランシスコを名乗る。 | |
01/24 | ?? | 真田幸村が信濃上田にいる姉の村松に手紙を送る。 | |
02/14 | 政治 | 徳川家康が京都から駿府に戻る。 | |
03/12 | 事件 | 徳川家康が京都所司代板倉勝重から大坂方再挙の報を受ける。 | |
03/14 | 死去 | 奥平美作守信昌が美濃加納で歿す。享年61歳。 | |
03/15 | 死去 | 筒井定次・順定父子が大坂方内通の疑いで自刃させられる。定次享年54歳(日付は3/5とも)。 | |
03/25 | 文化 | 昨年来流行中の伊勢踊りが駿府でも行われる。 | |
03/27 | 文化 | 京都市四条河原で、流行中の操り人形芝居が興行される。 | |
04/04 | 軍事 | 徳川家康が駿府を発ち、大坂方討伐のため京都に向かう。 | |
04/07 | 軍事 | 徳川家康が西国の諸大名に大坂方討伐への出陣準備を命じる。 | |
04/13 | 軍事 | 大坂城内で軍議が開かれ、真田幸村が豊臣秀頼の出馬を求め伏見城攻めを献策する。 | |
04/19 | 政治 | 江戸幕府が諸大名に大坂進撃を命ず。 | |
04/23 | 軍事 | 【大坂夏の陣開始】 大坂方の軍勢が大和方面へ進撃、大坂夏の陣が始まる。 | |
04/26 | 合戦 | 大坂方の軍勢が大和郡山城を攻略する。 | |
04/28 | 軍事 | 大坂方の大野道犬(治胤)が住吉・堺に出陣し町を焼き払う。 | |
04/29 | 合戦 | 大坂方の塙団右衛門が和泉樫井にて紀州浅野勢と激突、討死する。 | |
05/05 | 軍事 | 徳川家康・秀忠父子が十二万余の軍を率いて京都を出陣し河内星田に着陣する。 | |
05/05 | ?? | 大坂方の将木村重成が入浴の際に髪を丹念に洗わせ、兜に香を焚き込めさせる。 | |
05/06 | 合戦 | 河内若江の戦いにて大坂方の木村重成が井伊直孝と戦い討死。享年23歳。また道明寺の戦いでは大坂方の後藤基次・薄田兼相らが討死、真田幸村は殿軍を務めて大坂城へ退去する。基次享年56歳、兼相享年不詳。 | |
05/07 | 合戦 | 真田幸村が奮戦するもあと一歩及ばず、安居天神にて越前松平勢の西尾仁左衛門に討ち取られる。享年49歳。徳川方では本多忠朝が天王寺の激戦にて戦死。享年34歳。同日、小笠原秀政も戦死。享年47歳。 | |
05/07 | 軍事 | 長宗我部盛親が持ち場の京橋口を捨て大坂城を脱出する。 | |
05/08 | 合戦 | 【大坂落城、夏の陣終結】 徳川軍により大坂城落城。豊臣秀頼・淀君はじめ生き残りの諸将は炎上する城内山里曲輪で自害。秀頼享年23歳、淀君享年49歳。 | |
05/11 | 事件 | 京・八幡に隠れていた長宗我部盛親が蜂須賀家臣の長坂三郎左衛門に捕らえられる。 | |
05/12 | 事件 | 豊臣秀頼の7歳の娘(後の天秀尼)が徳川方に捕らえられる。 | |
05/15 | 死去 | 京都六条河原にて長宗我部盛親が斬首される。享年41歳。長宗我部家滅亡。 | |
05/21 | 事件 | 豊臣秀頼の遺児国松丸が徳川方に捕らえられる。 | |
05/23 | 死去 | 豊臣秀頼の遺児国松丸が京都六条河原で斬首される。享年7歳(8歳とも)。 | |
05/27 | 死去 | 増田長盛が息子盛次の大坂方加担の罪を問われ自刃。享年71歳。 | |
05/28 | 死去 | 片桐且元(貞盛)が茨木城で自刃。享年60歳。 | |
06/02 | 死去 | 浅井家の猛将海北綱親の子で絵師の海北友松が歿す。享年83歳。 | |
06/11 | 死去 | 家臣の木村宗喜らが家康暗殺を企てた罪により、古田織部が山城木幡の自邸で子の重広とともに切腹する。織部享年73歳。 | |
06/15 | 文化 | 徳川氏の崇敬する山王社の祭礼行列が初めて江戸城内に入る。 | |
06/19 | 政治 | 伊達政宗が正四位下参議に叙任される。 | |
06/27 | 死去 | 大坂方の大野道犬(治胤)が堺の町を引き回され、のち京都三条河原で斬首される。 | |
06/30 | 文化 | 林羅山が家康に銅活字版『大蔵一覧集』を献上する。 | |
*6/03 | 死去 | 飛騨高山城主金森可重(長近の養子)が歿す。享年58歳。 | |
*6/13 | 政治 | 江戸幕府が一国一城令を発布する。 | |
07/07 | 政治 | 江戸幕府が『武家諸法度』を制定する。 | |
07/09 | 政治 | 徳川家康が板倉勝重・金地院崇伝・南光坊天海に秀吉を祀る豊国社の破却を命じる。 | |
07/13 | 政治 | 元和に改元される。 | |
07/17 | 政治 | 江戸幕府が『禁中并公家諸法度』を制定する。 | |
07/24 | 政治 | 徳川家康が仏教諸宗に『諸宗本山本寺諸法度』を布告する。 | |
08/24 | 死去 | 博多の豪商島井宗室が歿す。享年不詳。 |