赤井直正の墓

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赤井直正(あかい なおまさ)  1529〜1578

氷上郡後家(ごや)城を本拠とした奥丹波三郡の土豪赤井時家の二男で、通称悪右衛門。初め荻野氏を称し十三歳で朝日城主となるが、後に叔父の荻野伊予守秋清を刺殺し黒井城主に。武勇に優れた猛将で「丹波の赤鬼」と怖れられ、再三明智光秀の侵攻をくい止めた。亡くなる直前、降伏勧告に訪れた敵将脇坂安治の堂々たる態度が気に入り、代々の家宝である珍獣・貂(てん)の毛皮(槍鞘)を安治に譲ったと伝えられ、安治はこれを家宝として後々まで大切に扱ったという。 写真は高野山奥の院にある直正の墓。法名は「抽戦院殿実山常休大居士」。

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