長谷川藤広の墓

☆関連武将☆

長谷川藤広(はせがわ ふじひろ) 1566〜1617

藤直の子で通称左兵衛。伊勢一志郡の出身で初め北畠氏に仕え、のち徳川家康に仕える。妹の於夏の方が家康の側室という関係で信任を深め、慶長十一(1606)年に長崎奉行に就任。のち堺奉行となるまで生糸貿易に携わった。「大津そろばん」の祖としても知られる。
写真は大津市の西教寺にある藤広の墓で、ここには明智光秀はじめ一族の墓もある。彼の墓は墓地中段右端にあるが、正面すぐ前に塀があるので場所的に引きがなく、超広角レンズを使ってもこの画像が精一杯である。

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