陶晴賢の墓

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陶 晴賢(すえ はるかた)   1521〜1555

興房の次男。大内家重臣で初め隆房と名乗り、尾張守を称す。吏僚肌の重臣相良武任との確執から主君義隆に謀反、山口大寧寺に義隆を攻めて自害させ実権を掌握する。しかし程なく毛利元就の謀略にかかり安芸厳島におびき出され、元就の奇襲に敗れて島内大江浦で自害した。
写真は広島県廿日市市の洞雲寺にある、晴賢の首塚と伝えられる墓で、法名は「卓錐軒呂翁全薑」。他に山口県周南市の 龍文寺 にも一族の墓がある。

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