☆関連人物☆
波多野秀治
(はたの ひではる) 1529〜1579
丹波の土豪で八上城主。明智光秀の天正七年の丹波攻めの際、よくこれを防いだが光秀の謀略にかけられ、彼の人質(一説には光秀の実母とも)を信じ開城を決意。しかし、光秀と本梅城で会盟中に謀られて弟秀尚とともに捕らえられ、安土へ送られて磔刑に処された。一説に護送途中に捕らえられた際に受けた傷がもとで落命したともいう。
写真は兵庫県篠山市の波多野家墓所にある秀治の墓で、法名は「大雄院殿英山玄功大居士」。
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