☆関連武将☆ 毛利秀元(もうり ひでもと) 1579〜1650 穂田元清の子で長府毛利氏の祖。右京大夫・伊予守・甲斐守・安芸侍従を称す。はじめ毛利輝元の養子となり、朝鮮役の際には輝元に代わって指揮を執るが、実子秀就誕生のため防長二国に所領を与えられ山口城主となる。関ヶ原の敗戦後、長門豊浦郡長府城に移り徳川家康の養女(松平康元の娘)を継室に迎え、大坂の役にも参陣した。慶安三年閏十月三日、江戸で没。 写真は山口県下関市の功山寺にある秀元の墓で、他に東京都港区の泉岳寺にも墓がある。法名は「智門寺功山玄誉」。 |