☆関連武将☆ 豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ) 1568〜1595 母は秀吉の姉。最初は秀吉の後継として期待され関白にまで登りつめるが、後継ぎの秀頼が誕生すると身の不安から乱行を繰り返して「殺生関白」と呼ばれた。後に秀吉の命にて高野山へ謹慎させられ、程なく同地で切腹した。 写真は京都市の瑞泉寺にある秀次の墓で、ここには秀次とともに自害した不破万作らをはじめ、京都で処刑された妻や妾の墓と犠牲者49人の五輪塔がある。法名は「瑞泉寺殿前関白秀次入道高巌道意尊儀」。なお、同寺は角倉了以の建立。京都市左京区の善正寺と高野山にも彼の墓がある。 |