豊臣秀頼の墓

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豊臣秀頼(とよとみ ひでより) 1593〜1615

秀吉の子で母は浅井長政の娘・淀君、妻の千姫は家康の孫。大坂の陣の際は母淀君らの口出しに逆らえず、冬の陣では家康の計略に掛かって和睦、城の堀を全て埋められた。夏の陣にて野戦部隊は奮闘したが衆寡敵せず全滅、炎上する城で一族郎党と共に自刃。
写真は京都市右京区の清涼寺にある秀頼の首塚で、他に京都市東山区の養源院や大阪城山里曲輪跡、さらに 秀頼の墓と伝えられるもの が遠く鹿児島市の個人宅内にもある。法名は「帰寂山高陽寺殿秀山大居士」。

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