豊臣秀吉の墓

これは山口市の俊龍寺にある秀吉の供養墓。慶長三年八月十八日に秀吉が没した際、毛利輝元は秀吉の冥福を祈るため家臣の柳沢元政に豊太閤廟の建立を命じた。元政はこの地にあった献殊院に秀吉から拝領した鎧を納め、併せて墳墓を築いて位牌所とし、それに伴って山号を豊国山、寺名を秀吉の法名「俊龍」に因んで俊龍寺と改めた。前年の慶長二年は足利義輝とその母慶寿院の三十三回忌に当たり、義昭もこの年没している。輝元は元政の旧主義輝・義昭らの供養も命じ、元政はそれぞれの法会の際に供養塔を建てたことから、秀吉と将軍足利義輝・義昭兄弟および母慶寿院の4基の供養墓が並んでいる。

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