蒲生秀行の墓

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蒲生秀行(がもう ひでゆき)  1583〜1612

飛騨守。氏郷の嫡男で蒲生家二代、陸奥会津藩六十万石初代当主の会津若松城主。父氏郷の病死により十三歳で家督を嗣ぐ。母は信長の三女冬姫、妻は家康の三女振姫。秀吉から家中の不和を咎められ一時宇都宮十八万石に左遷されるが、関ヶ原の後会津に復帰し領内の治世に務める。慶長十七年五月十四日、病により三十歳の若さで歿した。
写真は熊本市の安国寺にある秀行の供養塔で、他に会津若松市の弘真院にも墓がある。法名は「弘真院殿覚山浄雲大居士」。

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