木脇祐秀の墓

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木脇祐秀(きのわき ひろひで)  1577〜1619

島津義弘の家臣で祐昌の二男。休作のち刑部左衛門を称す。兄祐吉の戦死により家督を嗣ぐ。大男で武勇に優れたと伝えられ、朝鮮役では義弘に従って奮戦し、その功により長刀を拝領した。関ヶ原では義弘の敵中退却を支え、最後まで殿軍として奮闘、身を挺して義弘を守った。戦後五十石を加増され蒲生・平松・加治木と所領を替え、元和五年八月十六日、義弘死去に際して殉死した。
写真は鹿児島県加治木町の椿窓寺墓地にある祐秀の墓で、法名は「心叟了伝」。

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