吉川広家の墓

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吉川広家(きっかわ ひろいえ) 1561〜1625

元春の三男で、兄元長の陣歿により家督を嗣ぐ。通称少輔次郎または次郎五郎、初名は経言。朝鮮の役で活躍した勇将。関ヶ原では一旦西軍に属すが毛利家存続のため家康と密かに内通して奔走、しかし結局は大減封された。戦後輝元から周防岩国三万石を与えられたが、家中からは白眼視されたという。
写真は山口県岩国市の吉川家墓所にある広家の墓で、法名は「全光院殿中厳如兼大居士」。

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