☆関連武将☆ 頴娃久虎(えい ひさとら) 1528〜1587 島津義久・義弘の家臣。薩摩頴娃の国人兼賢(堅)の子で同氏第七代。のち指宿地頭。初名小四郎、左馬介・全福と称す。天文八年に島津貴久の傘下となり、以後天正四年の高原攻めをはじめ、耳川合戦・水俣攻め・肥後千々輪城攻め・島原合戦・日向合戦など多くの合戦に活躍した。天正十二年には義久の談合衆を務め、義弘をして「豊肥戦はすべて久虎によった」と言わしめた勇将。 写真は鹿児島県頴娃町の大通寺跡にある久虎の墓で、同所には歴代頴娃氏の墓がある。法名は「住岳林昌居士」。 |