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龍造寺家兼
(りゅうぞうじ いえかね) 1454〜1546
肥前龍造寺氏十四代康家の子で水ヶ江龍造寺氏の祖。通称は剛忠、山城守を称す。少弐資元の被官として享禄三年に大内方杉興運を田手畷にて破るが、後に馬場頼周の謀略により失脚、一時浪人する。翌年再挙の兵を挙げ馬場父子を討ち取り、以後の龍造寺氏の礎を築いた。
写真は佐賀市の高伝寺にある家兼の墓で、同寺には龍造寺氏と佐賀藩主鍋島氏の墓が整然と並ぶ。法名は「剛忠浄金禅定門」。
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