三好義賢(実休)の墓

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三好義賢(みよし よしかた) 1527〜1562

豊前守、のち物外軒実休と号す。諱は初め之康、のち之虎。長慶の片腕で実弟の阿波勝端のち河内高屋城主。長慶が近畿に進出、勢力を拡大した後の阿波・讃岐を弟の十河一存とともに支配した。永禄三(1560)年十一月に河内高屋城に畠山高政を攻め一時河内国をも支配するが、同五年三月に高政・根来衆の連合軍に和泉久米田にて敗れ戦死した。 写真は和泉市の妙泉寺にある義賢の墓で、法名は「実休居士」。

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