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島津忠良
(しまづ ただよし) 1492〜1568
伊作島津家善久の子で通称菊三郎、三郎左衛門、相模守を称し、のち愚谷軒日新斎と号す。守護の本家勝久や薩州家実久に競り勝ち、ついに子の貴久に本家を継がすことに成功。島津家中興の祖といわれる名君で、薩摩武人の教訓とも言うべき「いろは歌」の創作など軍政両面に際だった功績を残し、後には半ば神格化された。
写真は加世田市の竹田神社(常潤院跡)にある忠良の墓で、法名は「梅岳常潤在家菩薩」。
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