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六角義賢
(ろっかく よしかた) 1521〜1598
定頼の子。近江国観音寺城主で承禎入道を称す。はじめ将軍足利義晴・義輝を庇護して三好長慶と戦うが、のち三好・浅井氏とは同盟を結んで織田信長に徹底抗戦した。しかし結局は敵わず降伏、近江から追放された。政治面では楽市実施の祖と伝えられる。
写真は京都府京田辺市の酬恩庵にある義賢の墓で、他に東京都北区の観音寺にも墓がある。ちなみに酬恩庵は別名一休寺といい、「とんちの一休さん」でおなじみの一休禅師の墓もここにある。
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