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大木兼能
(おおき かねよし) 1552〜1611
加藤清正の家臣で通称は土佐(守)。初め佐々成政の家老で三千石を領したが、成政失脚後に同待遇で清正の家臣となる。朝鮮役等で数々の軍功を挙げ、関ヶ原の際には梶原景俊とともに一計を案じ、大坂の屋敷から清正夫人を無事肥後へと脱出させた。清正が没した翌日に殉死した。
写真は熊本市の本妙寺にある兼能の墓で、法名は「尭心院殿道了日解居士」。
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