☆関連武将☆ 山本勘助(やまもと かんすけ) 1493〜1561 本名は晴幸、号は道鬼。活躍を示す確たる資料はないが「甲陽軍鑑」では武田家の軍師・参謀的存在とされ、また築城術にも優れ小諸城などの縄張り(設計)を行ったという。永禄四年の第四次川中島合戦で「きつつきの戦法」を考案するも謙信に見破られ、責任を感じて敵軍中に突入し戦死したと伝えられる。 写真は長野市の千曲川土手下にある勘助の墓で、法名は「鉄巌道一禅定門」または「天徳院武山道鬼居士」。他に愛知県豊川市の 長谷寺 、山梨県韮崎市の宗泉院、静岡県富士市の医王寺にも勘助の墓と伝えられるものがある。 |