柴田勝家の墓

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柴田勝家(しばた かついえ)  1522〜1583

通称修理亮、一度信長の弟信行に加担して謀反したが失敗、降伏し許されてからは信長の忠実な家臣となる。「瓶(かめ)割り柴田」の異名を持つ織田家筆頭家老の猛将で、信長没後に清洲会議で秀吉と衝突、賤ヶ岳合戦で敗れ居城の越前北ノ庄で妻である信長の妹・お市の方とともに自刃した。
写真は福井市の西光寺にある勝家の墓(慶長年間に山中山城守長俊が創建)で、妻のお市の方・甥の勝景(丸岡城主)・子の孫次郎が合祀されている。他に 高野山奥の院 や東京都三鷹市の春清禅寺にも彼の墓がある。法名は「摧鬼院殿台岳還道大居士」。

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