十河一存の墓

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十河一存(そごう かずまさ)    ? 〜1561

名は「かずなが」とも。左衛門督・讃岐守・民部大夫を称す。三好長慶の末弟で、讃岐十河景滋の跡を嗣ぎ、同国十河(十川)城主となる。長慶の養嗣子義継の父。「鬼十河」と恐れられた猛将で、その独特の髪型は「十川額」と呼ばれたという。兄長慶・義賢を助けて各地を転戦活躍するが、永禄三年四月に若くして病没。一説に、瘡を病み有馬温泉への湯治途中に落馬したのが原因という。
写真は高松市十川東町にある一存の墓で、法名は「劒翁活公(宗活)禅定門」あるいは「清光院殿春月宗圓禅定門」。向かって右隣には三好義賢の子で養嗣子となった存保の墓がある。

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