青木一重の墓

☆関連武将☆

青木一重(あおき かずしげ)  1551〜1628

重直の嫡子で通称忠助、所右衛門のち従五位下民部少輔。はじめ今川氏真に仕えて新阪の戦いで首級を挙げ、のち徳川家康のもとで姉川合戦で活躍、一説に朝倉氏の勇将真柄直隆を討ち取ったと伝える。その後丹羽長秀・豊臣秀吉に仕え一万石を領した。大阪の役の際には七手組の一隊長を務め活躍するが、和議の使として駿府からの帰途に京都で拘禁された。戦後家康に許されて再び徳川家臣に戻り、摂津豊島郡麻田で一万石(格式は十万石)を領した。
写真は大阪府池田市の仏日寺にある一重の墓で、法名は「梅隣院殿華屋令曇居士」。他に東京都港区の瑞聖寺にも墓がある。
※墓碑面法名中の「華」にあたる字が異なる可能性がある。(仏日寺様では「華」の字を使っておられるとのこと)

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