吉川元春・元長の墓

☆関連武将☆

吉川元春(きっかわ もとはる) 1530〜1586

毛利元就の次男で山陰方面の統治を任され、山陽方面を任された弟の隆景と「毛利両川体制」の一翼を担って当主輝元を補佐した毛利家武闘派筆頭の猛将。上月城攻めでは降伏した猛将山中鹿介を護送途中に謀殺。徹底した秀吉嫌いで知られ、その九州島津攻めの際に嫌々参加したが小倉の陣中で病死した。

吉川元長(きっかわ もとなが) 1548〜1587

吉川元春の長男で幼名少輔次郎。十四歳の時に元服し元資と名乗り、天正元年に元長と改名。父元春に従って各地を転戦した。秀吉の九州攻めの際に従軍したが、日向都於郡の陣中で病を得て四十歳の若さで没した。

写真は広島県豊平町の海応寺吉川氏居館跡にある元春・元長父子の墓で、向かって右が元春、右が元長の墓である。法名は元春「随浪院殿前駿州太守四品海翁正恵大居士」、元長「萬徳院殿前禮部中翁空山大居士」。

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