☆関連武将☆ 中川清秀(なかがわ きよひで) 1542〜1583 重清の子で幼名虎之助、通称瀬兵衛。初め池田勝正のち織田信長麾下の荒木村重に属した摂津の土豪で茨木城主。元亀三年には信長に背いた和田惟政を討ち取り、後の山崎合戦でも活躍した。賤ヶ岳の合戦では大岩山に布陣するが佐久間盛政の奇襲を受け、奮戦したが戦死。 写真は大阪府茨木市の梅林寺にある清秀の墓で、これは清秀戦死の報を受けた当時の梅林寺住職是頓和尚が、すぐさま賤ヶ岳の戦地に向かい、彼の遺髪を貰い受けて持ち帰り菩提を弔ったものという。この他戦歿地の滋賀県余呉町の大岩山上にも彼の墓がある。 |