亀井茲矩の墓

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亀井茲矩(かめい これのり)  1557〜1612

湯左衛門尉永綱の子で通称新十郎、元尼子氏家臣で之子(ゆきたね)・真矩のち茲矩を名乗る。天正二年に山中鹿介の養女(妹とも)として亀井能登守秀綱の娘を娶って亀井氏を嗣ぎ、鹿介とともに主家再興に尽くした。後に秀吉に仕え、武蔵守のち唯一の「琉球(台州)守」を称した。琉球征伐に向かったが暴風雨に遭い、房総半島まで流されたエピソードを持つ。秀吉没後は家康に接近、朱印状を認可され東南アジア貿易など政治面で活躍した。
写真は鳥取市の明星ヶ鼻にある茲矩の墓で、法名は「中山道月大居士」。他に京都市左京区の 金戒光明寺黒谷墓地(金光院) にも墓がある。ちなみに中山道とは琉球の別名である。


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