蜂須賀正勝の墓

※向かって右が正勝、左が家政の戒名(合葬墓碑)
☆関連武将☆

蜂須賀家政(はちすか いえまさ)1558〜1638

正勝の嫡男で阿波徳島藩主。阿波守のち蓬庵を称す。関ヶ原の際は形の上は西軍に属したが病気と称して動かず、家康から旧領を安堵された。

蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)1526〜1586

秀吉の片腕で、藤吉郎時代からの参謀役として活躍。尾張土着の乱波上がりと伝えられる謀将で、特に竹中半兵衛・黒田官兵衛らが秀吉に随身するまでは多方面にわたって秀吉を助けた。後に播磨龍野城主に。

これは愛知県美和町の蓮華寺にあるもの(墓の場所が判りにくい)で、場所の引きもない上にフィルムは最後の一枚。さらに夕暮れ時の竹藪の中で非常に暗く(しかも逆光)、ISO400のフィルム使用でも絞り開放でスポット測光のためシャッタースピードは1/15。祈る思いで撮影したショット。他に徳島市の興源寺にも蜂須賀家累代の墓がある。法名は正勝「良巌浄張大居士」、家政「蓬庵常仙瑞雲院」。

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