畠山政長の墓

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畠山政長(はたけやま まさなが)  1442〜1493

畠山持国の弟持富の子で持国の養子。長禄三(1459)年に没した弥三郎義富の弟で通称は弥二郎、官称は尾張守、弾正少弼、左衛門督。享徳四年に持国が没して以来実子の義就と長きに渡って相続争いを続け、応仁の乱勃発の一因を作った。 応仁の乱では細川勝元(東軍)方となり、延徳二年に義就が没すと子の基家(のち義豊)と抗争を続けるが、明応二(1493)年閏四月二十五日、基家に加担した細川政元に河内正覚寺の戦いで敗れて自刃した。
写真は大阪市平野区加美正覚寺にある政長の墓。

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