三好政長の墓

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三好政長(みよし まさなが)    ? 〜1549

細川晴元の家臣で摂津榎並城主。勝時の嫡男で勝長の弟。通称神五郎、越後守のち出家し宗三・半隠斎を称す。大永七年、兄勝長・柳本賢治・三好元長らとともに管領細川高国・武田元光を洛西桂川畔に破り入京。しかし台頭してきた長慶と対立、天文十八年摂津江口の戦いで長慶兄弟勢に敗れ討死した。武野紹鴎門下の茶人としても知られ、松永久秀から信長に渡った名器「九十九髪」は政長の所有品であったという。
写真は大阪府堺市堺区の善長寺にある政長の墓で、法名は「長樹院殿一峯宗三弘安居士」。なお同寺前の石碑には「政長・政康墓当寺ニ在リ」とあるが、境内には晴海入道政康の墓は見当たらない。

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