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内藤昌豊
(ないとう まさとよ) ? 〜1575
武田信玄・勝頼に仕えた重臣で上州箕輪城代。「四臣」の一人で通称修理亮、元の名は工藤源左衛門。北条家との三増峠の合戦では小荷駄奉行を務めた。長篠合戦の際には勝頼を諫めるが叶わず、自殺的に敵に突っ込み戦死と伝える。
写真は愛知県新城市の長篠古戦場にある昌豊の墓で、他に群馬県箕郷町の善龍寺や山梨県韮崎市の勝頼神社にも墓や供養塔がある。法名は「善龍寺殿泰山常安大居士」。
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