☆関連武将☆ 真田昌幸(さなだ まさゆき) 1547〜1611 幸隆の三男で戦国屈指の策謀家。元武田信玄の近従で初め武藤喜兵衛を名乗っていたが、長篠合戦で二人の兄が相次いで戦死したため当主に。関ヶ原の合戦では西軍につき、戦後高野山へ流され九度山善名称院(真田庵)で病没。「表裏なき人」と言われながらも謀略の限りを尽くし、小大名真田家を戦国期の荒波から守った名将。 写真は和歌山県九度山町の真田庵にある昌幸の墓で、他に長野市の長国寺真田家墓地・長野県真田町の長谷寺にも彼の墓がある。法名は「長谷寺殿一翁干(閑)雪大居士」。 |