福島正之の墓

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福島正之(ふくしま まさゆき) 1579〜1601?

正則の甥。別所重宗の七男で、正則の養子となる。母は正則の姉。通称八助、伯耆守のち刑部少輔(刑部大輔とも)、侍従。室は徳川家康の養女(松平康元四女)満天姫。関ヶ原の際には父に従って出陣、美濃竹鼻城を奪う。戦後正則が安芸広島四十九万石に加封された際、備後支配の要として三原城に入った。慶長六年、所行に狂気の沙汰有りとして父正則の勘気を受け、幽閉されたまま餓死と伝える。没年には慶長十三年説もあり不詳。
写真は広島県三原市の宗光寺にある正之の墓で、法名は「宗光寺殿天英光公大居士」。

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