柳生十兵衛の墓

☆関連人物☆

柳生三厳(やぎゅう みつよし)  1607〜1650

宗矩の長男で初名は七郎、通称は十兵衛、後に但馬守を称す。正保三(1646)年、父宗矩の死により一万二千五百石の家督を継ぐが、弟宗冬らと分治したため八千石となり大名の座から転落。将軍家光の小姓だったが二十一歳の時に非行の罪で出仕を停止、巷説ではこれより全国を隠密として回ったという。慶安三年三月二十一日、山城大河原村で鷹狩り中に急死した。
写真は東京都練馬区の広徳寺にある十兵衛の墓で、この他に地元柳生の芳徳寺にも、彼の墓と父宗矩はじめ一族の墓がある。

BACK  TOP