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長寿院盛淳
(ちょうじゅいん もりあつ) 1547〜1600
島津氏家臣。畠山頼国の子で大善坊を称す。阿多盛淳、阿多長寿院とも。義弘の家老を務めた大隅蒲生(かもう)地頭。三歳の時以来紀州高野山・根来寺で修行、のち薩摩へ戻り安養院住持となる。天正十六年には義久に同道し石田三成と会見、関ヶ原の際には義弘の身代わりとなり、豊久とともに東軍の追撃をくい止め壮絶な討死を遂げた。
写真は岐阜県上石津町の琳光寺にある盛淳の墓で、法名は「一超日純」。近くには彼の碑もある。
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