山内盛豊の墓

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山内盛豊(やまのうち もりとよ)  生没年不詳

尾張羽栗郡黒田の郷士久豊の子で一豊の父。通称猪之助、但馬守。尾張守護代岩倉織田家(敏信・信安・信賢)の家老で黒田城主を務める。岩倉織田氏は斎藤義龍や織田信行と結び、終始台頭してきた織田信長と争った。盛豊は永禄元年の浮野の戦いに名が見えるが翌年岩倉城は信長に落とされ、この年に盛豊も没したと伝わる。しかし没年を弘治三年とするものもあり不明。
写真は愛知県木曽川町の法蓮寺にある盛豊の墓で、法名は「法性院殿逸溪光秀大居士」。隣には盛豊の子で一豊の兄・ 十郎の墓 もあり、墓碑には両者の没日時が弘治三年七月十二日と刻まれている。ともに戦死または自刃したものか。

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