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穂田元清
(ほいだ もときよ) 1551〜1597
姓は「穂井田」とも。毛利元就の四男で備中猿掛城主穂田氏を嗣ぎ、伊予守を称す。なかなかの勇将で、若い輝元をよく補佐して主に備中方面の合戦で活躍、特に備前児島の戦いでは宇喜多直家を撃破した。文禄の役にも従軍している。また、二男の秀元が輝元の養子となり毛利本家を嗣いだ。
写真は廿日市市の洞雲寺にある元清の墓。隣には妻の墓もある。法名は「洞雲寺殿笑山常快禅定門」。
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