毛利元政の墓

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毛利元政(もうり もとまさ)  1559〜1609

天野元政。元就の七男で幼名千虎丸、少輔六郎を称す。掃部頭のち従五位下讃岐守、毛利八家の一つ右田毛利氏の祖。永禄十二年に安芸の名族天野氏の婿養子となり家督を嗣ぎ、米山城に入る。多くの合戦に従軍し、上月の戦いでは抜群の戦功を挙げた。関ヶ原の西軍敗戦と毛利氏減封を機に周防熊毛郡三丘(みつお)を領し、剃髪して宗休と号した。慶長十四年四月二十九日、長門萩にて没。
写真は山口県周南市の仙竜寺跡にある元政の墓で、他に防府市の天徳寺にも墓がある。法名は「天徳性真大居士」。

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