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三好元長
(みよし もとなが) 1501〜1532
長秀の子で、山城国守護代を務める。弾正少弼のち筑前守を称す。大永六(1526)年に細川晴元を担いで阿波から挙兵、将軍義晴・細川高国勢を破り足利義維を擁して堺に幕府を開く。享禄二(1529)年、柳本賢治らと争い一時阿波に帰国するが再び堺に上陸、高国を摂津尼ヶ崎に滅ぼした。天文元(1532)年、対立していた晴元方の一向一揆に襲われ、堺顕本寺に敗死した。
写真は没地・大阪府堺市堺区の顕本寺にある元長の墓で、法名は「帰本海雲善室大居士」。
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