後藤又兵衛の墓

☆関連武将☆

後藤基次(ごとう もとつぐ) 1560〜1615

播磨別所氏の家臣・基国の子。通称又兵衛。別所氏の滅亡後は黒田孝高に仕え、「黒田八虎」の一人に数えられる黒田家の名臣。その後当主の長政と対立して出奔するが、新たな仕官先の大名家にことごとく長政から「奉公構い」が出されたため、乞食にまで身を落とした。大坂の陣の際は豊臣秀頼の招聘により入城、真田幸村とともに事実上の総大将格となる。夏の陣で道明寺にて激戦の末に銃弾を浴びて戦死。
写真は鳥取市の景福寺にある又兵衛の墓で、法名は「西照院殿夏安道蓮大居士」。他に大阪府柏原市の玉手山公園、奈良県大宇陀町の薬師寺、伊予市の長泉寺、大分県の耶馬渓などにも碑や供養塔、伝承墓がある。

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