清水宗治の墓

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清水宗治(しみず むねはる) 1537〜1582

備中高松城主石川久孝の臣宗則の子で通称長左衛門尉。備中清水城主のち高松城主。毛利家小早川隆景の傘下に属した勇将。天正十年、秀吉の水攻めに遭い城は孤立、救援には来たもののどうすることも出来ず、状況を見かねた毛利家からの降伏勧告にも応じず義を貫く。城兵の命と引替えに兄の月清らとともに浮かべた舟の上で敵味方注視の中、切腹した。
写真は岡山市の高松城跡(妙玄寺)にある宗治の墓で、ここは宗治が自刃した場所という。また同城本丸跡には 首塚 、付近には胴塚があり、山口県光市の 清鏡寺 にも墓がある。法名は「高松院殿救溺祐君清鏡宗心大居士」。

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