荒木村重の墓

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荒木村重(あらき むらしげ)  1535〜1586

摂津池田氏六人衆の一人義村の子で織田信長の重臣。通称弥介または信濃、のち摂津守を称す。はじめ池田勝正のち織田信長に仕え、有岡城を居城として摂津国主となる。天正六年に信長に背き攻撃されるが一人で城を逃げ出したため、妻ダシ(Daxi)や親類縁者は尼崎七松で皆殺しにされた。晩年は利休七哲の一人とも伝えられる高名な茶人として知られ、堺で没した。
写真は熊本市の安国寺にある村重の供養塔で、碑面に「曽祖前摂州太守荒木村重之墓」とあり、これは祖を偲ぶ末裔の方によって建立されたものである。他に大阪府堺市堺区の南宗寺を墓所とする文献もあるが、同寺に村重の墓碑は確認できない。法名は「道薫」。

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