☆関連武将☆
丹羽長秀
(にわ ながひで) 1535〜1585
長政の子。織田信長の重臣で幼名万千代、通称五郎左のち越前守を称す。地味ながらも実力を持った武将で、信長の下では「米五郎左」と呼ばれ、天正三年には惟住姓を賜った。本能寺の変以降は秀吉の協力者として活躍、賤ヶ岳の戦功により若狭・越前・加賀半国を与えられ越前北ノ庄城主となったがそれも束の間、2年後に北ノ庄城で病死した。
写真は福井市の総光寺にある長秀の墓で、隣には次男の長正の墓もある。法名は「総光寺殿前越前太守大憐(隣)宗徳大居士」。
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