浅井長政の墓

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浅井長政(あざい ながまさ)  1545〜1573

久政の長子で備前守を称した北近江・小谷城主。最初は賢政を名乗るが、後に長政に改名。信長の妹・お市の方を妻に貰い受け織田家との友好を深めるが、信長の約束違反とも言える朝倉攻めに際には情誼を優先して朝倉方に加担、信長の背後から攻めかかった。勇将の誉れ高く姉川合戦では奮戦するも三年後に信長の再攻撃を受け、三人の娘を城外に落とした後力尽きて自害。
写真は滋賀県長浜市の徳勝寺にある久政の墓で、法名は「養源院天英宗清」。他に小谷城跡(滋賀県東浅井郡湖北町)にも亮政・久政・長政三代の墓がある。

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