山中長俊の墓

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山中長俊(やまなか ながとし) 1547〜1607

為俊の子で『中古日本治乱記』の著者。近江甲賀郡の出身で、初め六角氏に仕えていたが、信長の近江侵攻・六角氏の国外逃亡を機に織田家に仕え、柴田勝家に属し家老職を務める。勝家滅亡後は丹羽長秀に仕えるが、のち秀吉に召し出され右筆として仕える。関ヶ原では西軍に属したため所領を没収され京都に隠棲、そのまま歿した。

写真は大津市の西教寺にある長俊の墓で、法名は「紹春」。ここには明智光秀はじめ一族の墓もある。場所は墓地のかなり上の方で、そこから眺める琵琶湖の風景 はまた格別である。

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