相良長毎の墓

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相良長毎(さがら ながつね)  1574〜1636

肥後人吉城主義陽の二男で初名は頼房、通称四郎次郎、宮内大輔を称す。兄忠房没後に家督を相続、秀吉の傘下に入り佐々成政の寄騎となった。関ヶ原でははじめ西軍に属し大垣城に籠もるが、決戦直後に水野勝成を通じ東軍に寝返り、城内で熊谷直盛らを謀殺して戦後所領を安堵された。
写真は人吉市の願成寺相良家墓所にある長毎の墓で、法名は「瑞祥院殿天叟玄高大居士」。

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